私の好きな詩
。。。。。。やさしさは愛じゃない やさしさしかなかったんだね
でもやさしさは愛じゃない
やさしさはぬるま湯
私はふやけてしまったよ
ひっぱたいてくれればよかったのに
怒り狂ってほしかったのに
殺してもよかったのに
あなたは私を誉めたたえてばかりいた
その眼鏡の奥のひんやりしたふたつの目で
男の欲望のきりのないみのりのないやさしさで
谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちは誰でも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつまでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ち だけでもない
あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること谷川俊太郎
過t過
日々を過ごす
日々を過つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで
吉野 弘希望
もっとやさしくなりたい
すこしのことでおこったりしない
ひろいこころがほしい
きみが安らかに生きて行けるように
きみのことを思っていたい
きみがくるしくならないくらいに
きみを見つめていたい
小泉周二・
ほぐす
小包の紐の結び目をほぐしながら
思ってみる
結ぶときより、ほぐすとき
少しの辛抱が要るようだと
人と人との愛欲の
日々に連ねる熱い結び目も
冷めてからあと、ほぐさねばならないとき
多くのつらい時を費やすように
紐であれ、愛欲であれ、結ぶときは
「結ぶ」とも気付かぬのではないか
ほぐすときになって、はじめて
結んだことに気付くのではないか
だから、別れる二人は、それぞれに
記憶の中の、入りくんだ縺れに手を当て
結び目のどれもが思いのほか固いのを
涙もなしに、なつかしむのではないか
互いのきづなを
あとで断つことになろうなどとは
万に一つも考えていなかった日の幸福の結び目
その確かな証拠を見つけでもしたように
小包の紐の結び目って
どうしてこうも固いんだろう、などと
呟きながらほぐした日もあったのを
寒々と、思い出したりして吉野 弘
あなたに会えてよかった
空の青く
大きいことも
あなたがいて気づいた
この光もいま届いたばかり
一億五千キロのかなたから
今日からはじまる
何かいいこと
みんなに会えてよかった
すてきなものが
そばにあること
みんながいて気づいた
いまもどこかで命が生まれる
子犬も小鳥も草の芽も
今日からはじまる
何かいいこと
私に会えてよかった
胸の鼓動も
ときめきも
わたしがいて気づいた
だれも知らない音だけど
わたしの殻をやぶる音
今日からはじまる
何かいいこと
高丸もと子そのままの
あなたが好きよ
自分の弱さと
戦いながら
転んだり
傷ついたりして
不器用に生きている
あなた
がんばって
がんばって
あなたの中に
あたしをみつける
人は
みっともないから
可愛いと思う
恥をかくから
あったかいと思う
好きなものを
だいじにして
あきらめないで
捨てないで
あなたはひかり
輝く地球の
一粒のひかりみつはしちかこ
ポプラの木には ポプラの葉
何千何万芽をふいて
緑の小さな 手をひろげ
いっしんに ひらひらさせても
ひとつひとつの てのひらに
のせられる名は みな同じくポプラの葉
わたしも
いちまいの 葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ
人間の歴史の幹から 分かれた小枝に
不安げにしがみついた
おさない葉っぱに すぎないけれど
わたしは 呼ばれる
わたしの名で 朝に夕に
だからわたし 考えなければならない
誰のまねでもない
葉脈の走らせ方を 刻みのいれ方を
せいいっぱい 緑をかがやかせて
うつくしく散る法を新川和枝
チッチとサリーの四季
<春>
窓をあけて扉をあけて
窓をあけて
扉をあけて
さあ出ておいで
泣いているのはあなただけじゃない
ごらん外にはたくさんの人たちが歩いている
季は春
土の中の種までが
光を求めて顔を出す季節
まして心ある人ならば
さあ
鳥になりたい
光になりたい
心のままにとんでおいで
窓をあけて
扉をあけて
黄色い花々をくぐって
いま1度あたらしい子どもになって
生まれておいでみつはしちかこ
チッチとサリーの四季 <夏>
レモンソーダを飲むたびに
私は思い出す
あの暑い夏の午後
風のテラスの
白いテーブル白い椅子
レモンソーダをあいだに
みつめあったふたり
なにもかも
眩しく揺れてる中で
ひっそりと
あなたのひとみに
わたしがいた.....
いまはひとり
あの日と同じ風のテラスで
レモンソーダをかきまわす
過ぎた時は戻らないけど
ひとり飲む
レモンソーダは
ピリピリと胸にしみて
あの暑い夏の日の午後
宝石のような
思い出の中へ
私は帰る
ひっそりと
あなたのひとみの中に.....
みつはしちかこ
チッチとサリーの四季 <秋>
あなたのふるさとへ
こんなきれいな秋の日には
あなたがはじめてみた
野や山や川に
私もあってみたい気がする
あなたのふるさとへつれてって
干し草の山にねころんで
あなたはあなただけの
だいじな思い出に目を閉じて.........
私はちょつぴりかなしい気持ちで
あかく輝く柿の実をかじっていよう
こんなきれいな秋の日にはみつはしちかこ
チッチとサリーの四季 <冬>
こころ
私 知っている
この 死んだような枯木が
今 戦っていることを
私 知っている
この 無言の裸木が
今 歌っていることを
私 知っている
この 冷たい幹の中が
今 燃えていることを
私 知っている
みんなくりかえし生きることを
冬のとなりに春が待つことをみつはしちかこ
言葉は
紙ヒコーキのようなものでしょう
一つの言葉に
丁寧に折り目をつけて
祈るような気持ちで飛ばしたり
ときには荒々しく
続けざまに投げつけたり
わたしのこころ
乗せただけ ひとつも
こぼれ落ちずに届くかしら
まっすぐに杉本深由起
わたしはいつからわたしなのだろう
あなたはいつからあなたなのだろう
わからない
わたしのはじまり
わからない
あなたのはじまり
けれどわたしとあなた
わたしたちのはじまりは
はっきりとわかる
わたしとあなた
わたしたちのはじまり
それは
いま小泉周二
うれしいこともかなしいことも草しげる
分け入っても分け入っても青い山
わがままきままな旅の雨にぬれてゆく
あるがまま雑草として芽をふく
ともかくも生かされてはゐる雑草の中
酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく
独り飲めば小雨冷やかに散る葉あり
ほろほろ酔うて木の葉ふる
おちついて死ねさうな草萌ゆる
おちついて死ねさうな草枯るる
やつぱり一人がよろしい雑草
やつぱり一人はさみしい枯草山頭火
二人して気持ち新たに初詣で
新年に神社の外で願いかけ
パソコンが休暇願いを出しそびれ
ダイエットしてもないのにまた細る
ネットには目には見えないドラマあり
記念樹に買いもとめたり花水木
立夏過ぎこころ早くもふるさとへ
ツバメきて我が家にやっと春きたり
雨あがり心の中に初夏の風
雨あがり気持ちはればれ花博へ
それぞれに違う場所から同じ月
あき立ちていよいよ里に帰省かな
里帰りネット仲間で盛り上り
腐りかけ気づき慌てて冷凍庫
遊び顔最終電車に置いて降り
玄関に入れば主婦の顔となり
色淡き思いでめぐるルミナリエうりぼう
熟せ メロン
東北本線の下り列車の中で
十歳くらいの少女に会った
少女は赤い毛糸のえり巻きをして
窓ぎわの席にちんまり腰かけていた
母親らしい和服のひとが
そのとなりにすわっていたが
心配ごとでもあるらしく
どこかうかない顔をしていた
「お母さん そのメロン
明後日あたりが食べごろだって
くだもの屋のおじさんが言っていたわね」
といきなり少女が言った
「え? そうそう そう言っていたわね」
お母さんは答えてから
「それまで病人 もつかしら
もたないでしょうね
お医者さまは 今夜あたりが峠だと
おっしゃっているそうだから」
ひざの上の包みに目をおとして
あきらめたような言い方をした
身内の誰かが
きとくだという知らせをうけて
母娘はかけつけるところらしい
「お母さん その箱をこちらにかして」
少女はメロンのはいった箱を受け取ると
両方のてのひらで いとしむような持ち方をした
そのままじっと いつまでも持ちつづけている
「なにしているの?」
「あのね お母さん」
少女はすこしはにかみながら答えた
「わたしの手の中で メロンを熟させるの
このまえ お見舞いに行ったとき
おばさん メロン食べたいっておっしゃったのよ
東京には売っているだろうねって
どうしても
ひとさじでも食べさせてあげたいのよ
明後日なんかじゃ間に合わないわ
汽車が着くまでに 熟させるの熟せメロン
少女のあたたかなてのひらの中で
死んでゆくひとよ いましばらくお待ちなさい
私はふと
メロンのほのかな香りをかいだように思った
やさしい心が におっているのだと思った新川和江」
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっとあるメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえているということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれるということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ谷川俊太郎
新緑の季節
刻みのある葉は その刻みを
すじのある葉は そのすじを
一枚たりともおろそかにせず
千万 億万
ぞっくりとでそろう ぞっくりと!
わたしも
新しい葉をだしたいのだけれど
さてわたしの葉とは?
道ばたの雑草ほどに自分のことが
わかっていないことにあらためて気づかされ
緑の中で
目に見えぬ自然の力に
わたしははげしく鞭うたれる
新川和江樹のこころ
花の季節を 愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら
忘れられて
静かに過ごしている樹の心を
学ばなければいけない
忘れられているときが
自分を見つめ
充実させるときであることを
樹は 知っている高田敏子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ茨木のり子
すすきの原 さようなら さようなら
すすきの穂のくり返す
さようなら
ひがな一日
すすきは 風に
さようならを おくりつづけている
ごめんなさい
私はあなたに あのような
美しいさようならを したでしょうか
あなたにも あなたにも
いつまでもああして
手をふりつづけていたでしょうか
私はうかつにも
別離がいつもあることに気づかずに
すぎてきたように思う
私のまわりから いつとはなしに
時の流れのなかに
去っていった人たちのことが思われる
すすきの原
高田敏子A氏の投稿より 諸行無常の春の花は
是生滅法の風に散り
消滅々己の秋の月は
寂滅以楽の雲に隠る
生者必滅 会者定離はこの世の習い
踏まれた体の痛みよりも
踏んでしまった心の痛みを
わかる人間になれたら
いいですね
ひろはまかずとし
わけ合えばあまる
うばい合えば憎しみ
わけ合えば安らぎ
みつを。
あなたがそこに ただいるだけで
その場の空気が あかるくなる
あなたがそこに ただいるだけで
みんなのこころが やすらぐ
そんなあなたに わたしもなりたい
みつを
朝のリレー
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているときメキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
谷川俊太郎北風に向かって
北風に向かって 進むとき
けなげになる
冷たい空気が はだをさすと
いっせいに 皮下の細胞が引きしまる
心の深いところで
負けまいとさけぶ
ひといきに
かけるように進む
北風に向かって ペダルをふむとき
身を低くする
おしもどされまいと
ひざの屈伸をきかす
からだのしんから
エネルギーが燃えてくる
車と一つになって
わずかに進む
北風に向かって 進むとき
けなげになる
川端律子いいじゃないか
はぐれ者で
自由な心でいたいからさ
いいじゃないか
はぐれ者で
いっとき
だれかに
わすれられたってさ
いいじゃないか
ぼくひとりで
まっ青な空が
目にしみる
いいじゃないか
ぼくひとり
ぼくは ぼくを
さがすんだ江口あけみ
水は つかめません
水は すくうのです
指を ぴったりつけて
そおっと 大切に-
水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に-
水のこころ も
人のこころ も
高田敏子
。 わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
草原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいくぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩新川和江
出逢い
あなたに出逢えてよかった
しみじみとそうおもう
あなたに出逢えてよかった
ありがとう
ありがとう
すべてのふりかえる道が
この道へ続いていたとおもえる日は
こころが なんどでもくりかえす
ありがとう
ありがとう
関洋子